1月30日(日) 暗い眼をした青春があった


快晴。穏やかな日曜日です。


あの日の一枚 1960年代 某日 高知
カメラ機種不明 フィルムメーカー不明 撮影者不明

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記憶はあいまいですが、十代後半の写真だと思います。体重53kg、がりがりに痩せていました。この写真ではまだ短髪ですが、このすぐ後、ビートルズの影響などもあって長髪に変身します(笑)
時代を感じさせる写真ですね。撮られたことも、誰が撮ったのかも憶えていません。

今はもう取り壊されましたが、このボロ屋の二階がわたしの「個室」でした。高校受験をむかえた時期に、貧しかった父が無理をして増築してくれた家でした。外見はみすぼらしくても、南北に窓があって風通しがよく、夏でも快適な部屋でした。湿気など無縁の部屋で、もしこの当時カメラを持っていたとしても防湿庫など必要なかったでしょう。
母は増築記念にダブルベッドを買ってくれました。なぜダブルベッドかというと、結婚後を考えたというのですから母親の考えはわかりません。三十数年後の今、このベッドは父が使っています。

この家のすぐ横に、貧乏なわりに立派な門扉があり、庭の隅には二階の屋根よりずっと高い大きな樹がありました。ある日、この門を通って山羊が連れてこられ、その木の枝にしばりつけられました。我が家に売られてきた山羊で、わたしと同年代の男の子がよりそっていました。青年は哀しそうな表情でしばらく山羊と別れをおしんでいました。その頃のわたしは、世界のすべてが気に入らず、暗い眼で周りを睨み付けるように生きていましたから、「ケッ、女みたいなヤツだなあ」と感じながら、去ってゆく男の子のうつむきかげんの背中をこの窓から見下ろしました。
ラジオからはビートルズの「She loves you」が流れていました。

♪ She loves you, yeah, yeah, yeah
   She loves you, yeah, yeah, yeah
   She loves you, yeah, yeah, yeah, yeah

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ジョンレノン派です。


わたしは過去を振り返らないタイプの人間ですが、それでも一枚の写真からいろいろな記憶が呼び起こされます。写真のもつ記憶喚起力ですね。
このあと、この写真によって呼び戻された記憶をつらつらと書き足してゆくつもりですが、みんな個人的な感傷にすぎない思い出話なので、他人が読んでもおもしろくないと思います。
そういうことなので、ひとまずサヨナラします。ここまで読んでくれてありがとう。


Updated! 12:30pm

六歳違いの兄が一人いました。
わたしは当時世界のすべてに反発していましたから、当然この兄とも衝突しました。原因は忘れましたが、けんかになって、隣にあるお寺の境内に行こうということになりました。
兄は身体が大きく、相撲部に所属していて大学にスポーツ入学できるぐらい強い選手でした。全国大会でも何度も入賞していて、部屋には大会でもらった賞の楯やメダルがごろごろしていました。絵ばかり描いていたわたしが勝てる相手ではありませんでしたが、なにしろ暗い眼で世界を睨んでいた頃でしたからみさかいがありませんでした。結局殴り合いにはならないまま決着してしまったようですが、このへんの記憶はあいまいです。

わたしがもっと小さな少年の頃、この兄が隣町の相撲大会に出場するのについて行ったことがありました。たぶん夏の神祭のイベントだったのだと思います。土佐は相撲がさかんな県でした。土俵のすぐそばの頭上に渡されたひもがあって、そこに洗濯ばさみで千円札や五百円札が何枚も吊り下げられ風に揺れていました。それが兄たちのお目当の優勝賞金でした。現金収入の少ない田舎でそれらのお札は特別輝いて見えました。子どもたちの小遣いが5円とか10円の時代です。
結果は、兄と兄の相撲仲間たちの勝利でした。しかし、喜んでいる暇もなく、わたしは兄たちに自動車に(自転車だったかも)押し込まれてあわただしくその場を去りました。負けた連中の復讐を心配したのでした。なにしろ荒っぽい連中ばかりで、いまだ文明の光も届かない土佐の片田舎でしたから(あくまでレトリックですからね)、むき出しの暴力がめずらしくない時代でした。

中学生のとき、映画館で映画を観ていたら、すぐ後ろの席のグループの男がわたしの席を蹴ったり、叩いたりして嫌がらせを始めました。今のような床面に勾配のある映画館ではなかったので、スクリーンが見えづらかったせいだと思います。同じ学校の年長の男たちで、札付きの不良でした。男たちの嫌がらせは断続的にしつこく続きました。
その時、ずっと後ろの席にいた兄がやってきてその男たちに小さな声で何か囁きました。すると男たちは急に静かになりました。そういうこともありました。

強かった兄ですが、人のよすぎる性格で、セールスマンになった昔の友人が訪ねてきて、背広のオーダーをねだられると断り切れない人でした。背広など着る機会はないくせに勧められるまま安くもない背広を買っていました。それも何着も。友情にかこつけて必要もない背広を何度も売りに来る友人も友人ですが、黙って買う方にも問題があります。口数が少なく人の頼みを断れない性格でした。友人の悪口を決して言わない人間だったので、たくさんの友人がいました。
その兄も今はもういません。酒を飲みすぎて5年前に肝硬変で亡くなりました。兄と一緒に写った写真は一枚もありません。


当時のお札 
千円札
(千円札と一万円札が聖徳太子でした。)
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五百円札(岩倉具視)
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百円札(板垣退助)
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わずかですが、一円札もまだ流通していました。それにしても、今回の千円と五千円札のデザインは安っぽいと思いませんか? とくに人物イラストレーションが平面的で軽い感じがする。お金の価値もインフレで低くなっているのでちょうどいいのかも…
聖徳太子の一万円と千円札は高級感たっぷりでした。これはデザインとは別の理由からですが。


Updated! 14;55pm

1月30日(日) 暗い眼をした青春があった_a0022814_15141257.jpg自分がタフな人間ではないことを思い知ることになったのは、卒業をひかえた小学校六年の時のある事件がきっかけでした。最初の挫折を味わうことになる事件でした。
ある日、自習の時間で先生がいないとき、不良グループが教室に飛び込んできました。グループの番長は家が近所でしたからつきあいはないものの顔なじみでした。そのグループの中の一人が突然わたしにケンカを売ってきたのです。なんのことかわからず、うろたえていると教室の外に連れ出されて、奥の階段の目立たない場所まで引っ張られていきました。そこで、グループが取り囲む中でその男と決闘するよう番長に要請されました。急にそんなことを言われても初対面の相手だし、殴り合う気にはなれませんでした。わたしがどうしてもケンカを買わないことがわかると、こんどは番長が殴りかかってきました。無抵抗のままでぼこぼこにされましたが、わたしは弱いくせに意地っ張りなので泣くこともしませんでした。ただ、わけがわからず動揺するばかりでした。

この番長は中学生になってから筋金入りの不良になりました。とりまきを引き連れて、毎日ケンカの種を探し歩くような日々を過ごしていました。女生徒をレイプしたといううわさも聞こえてきました。そのうち、どんな悪事をしでかしたか知りませんでしたが、鑑別所に送られることになり、同級生が校門のそばに並んで彼を見送りました。その後、鑑別所で彼が毎日泣いているといううわさが校内に流れましたが、わたしは信用しませんでした。やがて、彼は戻ってきました。その後の行動もあいかわらずだったようです。中学を卒業するときは全校舎の窓ガラスを叩き割って帰りました。
数年後、彼は高知の繁華街でやくざとケンカをしてナイフで刺されて死にました。19歳でした。
彼を思い出すたびに、生まれつき凶暴な人間が存在することをわたしは確信します。

なぜこの小学校の事件がわたしの挫折につながるのか。それには説明が必要かもしれません。しかし、それをブログでしゃべるには抵抗があります。

(つづく)
by ondtp | 2005-01-30 10:48 | COLUMN
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