わたしにとってのキャンデッド・フォト
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GRDで銀座通りのスナップをしています。
人物が特定できる写真も多いです。
写真のジャンルについて詳しくないのですが、こうした写真は、アメリカでは「キャンデッド・フォト」と呼ばれているようです。「スナップ」という言葉は単に早撮りを意味しますが、キャンデッド・フォトは、相手がカメラの存在に気づいていない状態でシャッターチャンスを狙って撮る手法や、そうして撮った写真を指します。なるだけ自然な表情やポーズを写すのが目的とされています。

わたしが撮っている写真もキャンデッド・フォトになります。
人物の顔の写っている写真をWEBに掲載することに反対する人は多いと思います。断った上で撮り、WEBにアップすべきだとする意見に反対はしません。正直言って、正しい行為だと胸を張って撮っているわけでもないので、人にも勧めはしません。

今回アクシデントがあって、せっかく撮影したデータを消失するかも知れない可能性に直面した際に感じたのは、二度とふたたび手にすることのできないものを失ったという深い喪失感でした。これはわたしにとっての喪失ばかりでなく、そこに写っている人々にとっても喪失ではないかとも感じました。二度と同じ状況で撮ることは不可能だし、記録することで画像として定着した人たちも二度と戻ってくることがない、そう考えると、失った画像が非常に貴重なものに感じられました。こんな風に感じたのは初めてのことでした。キャンデッド・フォトはジャズに例えるならいわばインプロビゼーション(improvisation)のようなもので、一回性の中でしか命を燃やせない撮影であって、そこにこそ魅力の源泉があることを実感しました。

もちろんこれはわたしの勝手な思いこみにすぎませんが、今回のこの経験が、
勝手に撮影して勝手にWEBにアップすることは本当に迷惑以外のなにものでもないのだろうか?と考えさせるようになりました。
キャンデッド・フォトがマナーとして褒められた行為ではないとしても、街というハレの場所で輝いている人々を撮り、WEBに発表することが、被写体にとって不快なことだと自明のことのように断定できるものでしょうか。

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ここで、わたしがキャンデッド・フォトについて自分に課している基本的なルールを書いておきます。

1.人物の特定できる写真は写真の文脈を変えない※。
2.プライベート空間にいる人物は特定できるような撮影をしない。
3.瞬間的に生じたおかしな表情やポーズはWEBにアップしない
(e.g くしゃみ、あくび、転ぶ、躓く、ぶつかる、風でスカートがまくれるetc.)。
4.やむを得ず行った、本来公共の場ではしない行為はWEBにアップしない
(e.g 鼻をかんでいるとかetc.)


WEBにアップすれば、たぶんうけそうなおもしろいポーズや表情の写真はあります。しかしそれらはアップしていません。ハレ舞台を撮影しているからです。人々がおしゃれをして、あるいは緊張して、決意して、デートやショッピング、観光、ビジネスのために出てくる場所が街です。
街というハレの場所で生き生きとしている人びとの表情を記録するのが基本目的ですから、それ以外の写真は避けるようにしています。
また、人物がどれだけ大きく写っていたとしても、人物だけを写しているつもりはありません。あくまで「街の中の人びと」であって、街も人も同じように主役です。これは肖像権に配慮しているからではなく、そもそもの目的がそのようなものであるということです。わざわざ苦労して、無人の街の風景写真を撮る人もいて、それも写真の世界ではひとつの定番です。しかし、わたしは人のいる街の風景を撮りたいと思っています。

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※注 1. 人物の特定できる写真は写真の文脈を変えない。
これについては説明が必要だと思います。

写真はリアルに現実をありのままに描写することもあれば、現実とはかけ離れる場合もあります。写真を読むスキルがないとその写真が現実をリアルに写しているかどうか判断を誤ります。これだけビジュアルメディアが支配的な現代ですから、カメラを趣味としている人でなくても、写真を正しく読み取るためのスキルが必要です。

写真は撮影された時の状況とは関係なく、別の文脈に使われると別の意味を帯びてきます。例えば、週刊誌の常套手段として、相手を褒める時は記事の側に笑顔の感じのいい写真を掲載し、批判するときは暗い表情の写真を添えたりします。それらの写真は元々は別の状況で撮影されたもので、記事内容とは関係の無い場合がほとんどです。
写された写真の意味を決定するのは文脈です。ですから文脈しだいで、同じ写真が正反対の意味さえ持ちます。メディアによっては悪意をもってわざとそうする場合も少なくありません。写真を読むスキルが必要と言ったのはこうした写真の使われ方を批判的に見る目を鍛えるためです。わたしはキャンデッド・フォトを文脈を変えて掲載することはありません。

   おまけ
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例えば上の画像では顔が写っていないので肖像権の心配はありません。しかし、肖像権の問題がなければそれでいいのでしょうか。顔があれば普通に見える写真が、顔を隠すことで下品な写真になっていないでしょうか。

写真はアングル次第で体の一部を強調したものになります。極端なのはローアングルでミニスカートの女性を撮影したものでしょう。タンクトップやミニスカートの女性が魅力的に見えるのはたいていの男にとって事実ですので、わたしも露出した部分が画面のポイントになるように構図を考えることもあります。どのように強調するかはケースバイケースですが、猥褻な写真を狙う目的はないので、露出部分だけを特に狙った露骨な写真を撮るつもりはありません

先日、裁判沙汰になって敗訴した肖像権をめぐる「事件」も、もとはというと、上のルール3で示したような、瞬間的なおかしなポーズや表情を撮影したのが原因かもしれません(画像を見ていませんので話をもとにした想像です)。
肌をあらわに露出した服装の女性を撮影した写真だったようで、そのファッションの露骨さが2チャンネルで攻撃されたと認識しています。しかし、その女性がいつもそんな露骨な服装をして歩いていたのかどうかは写真からは本当はわからないことです。ほんの一瞬(例えば上着を脱いで)、露出が度を過ぎただけだった可能性もあります。カメラはその一瞬をとらえてずっとそんなかっこうで歩いているような印象をミスリードしたのかもしれません。
写真は、ほんの一瞬にしかすぎない光景を永遠に定着します。こうした瞬間を記録できる写真の怖さを、そして瞬間は決してリアルな現実の再現ではない場合が多いことを、カメラを持つ人は自覚的になるべきだと思います。もちろんそうした瞬間を狙って撮るのもカメラの醍醐味ですが、そうした写真の発表には特段の配慮が必要です。
上の画像だって、たまたま上着の前ボタンを外した瞬間を撮影した可能性もあります。
それはないか(^o^;
by ondtp | 2005-10-25 09:08 | GR DIGITAL
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