【酔鯨的シネマ評】 グッドナイト&グッドラック
「グッドナイト&グッドラック」
気に入った映画なので、今回はちょと長いです。

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アメリカという国は時々ヒステリックになるので困りものだ。
9.11テロでショックを受けてからというもの、「テロに屈しない」というキーワードを呪文のように唱え、先制攻撃すら正当化して全世界の緊張を高めてしまった。世界のスーバーパワーが先制攻撃を認めてどうする。

今から半世紀前のヒステリックな呪文は「反共」だった。
共産主義への漠然とした恐怖は、国内の共産党員やシンパへの弾圧をもたらした。本当に共産党員であってもなくても、疑いをかけられただけで職場から追放され社会的信用を失った。自分の疑いを晴らすため、友人・知人を共産主義者として密告するように強要された。当時、映画俳優組合の委員長の立場にあったロナルド・レーガンや、映画監督エリア・カザンはそうして仲間を密告した一人だった。
猜疑心と裏切りが横行する暗い時代が到来した。そうした時代の寵児がマッカーシー上院議員だった。かなりいいかがげんなこの男は共産主義への国民の不安や恐怖を利用してそれを煽り立て国民を引き裂いた。

映画はこのマッカーシー旋風(赤狩り)と、放送ジャーナリストの先駆者、エド・マローとの闘いを描いている。93分というコンパクトな映画なので、赤狩りの社会的背景や登場人物の説明はほとんどない。赤狩りやマッカーシーに不案内な人は、映画を観る前に資料にあたるか、もっとわかりやすく描いた映画を見ておくのもいいだろう。例えば、ロバート・デ・ニーロ主演の「真実の瞬間」(GUILTY BY SUSPICION)は、赤狩りに反抗した人間がどのように転落して行くかを描いている。ジム・キャリー主演の「マジェスティック」も赤狩りによって追いつめられたハリウッドのシナリオライターが主人公である。


a0022814_1320363.jpg結局、エド・マローはマッカーシーと赤狩りに勝利した。マッカーシーはマローとのテレビ論争に敗れ失脚する。しかしマローや彼の盟友であるプロデューサー、フレッド・フレンドリー(クルーニーが演じている)、マローを尊敬する若きスタッフ「マロー・ボーイズ」たちは、CBSを失意のうちに去ることになる。赤狩りには勝利したが、彼の理想とするテレビのあり方はその後も実現されることはなかったからだ。彼の報道番組はゴールデン・タイムを外され、かわって人気番組となったのは娯楽クイズ番組であった。マローはマッカーシーには勝ったが、さらに巨大な敵=商業主義に敗れ去ったのだった。経営陣と対立して孤立した末に放送界を去ったマローは57歳の若さで亡くなった。
余談だが、マローのテレビ番組はタバコ会社が提供していたので、彼は本番中もたばこを手にしたまま登場する。これにはびっくりさせられた。今のアメリカや日本のテレビでは考えられないことだ。そのせいかどうか、彼の死因は呼吸器系のガンだった。

この映画が白黒なのはマッカーシーが「本人」として登場するからである。
役者が演じるマッカーシーではなく、記録フィルムの中の本人としてか現れないのだ。そのマッカーシーの白黒の画面に合わせて映画も白黒にしたのだと思う。そうすることで記録フィルムの中のマッカーシーとフィクションである映画のシーンがシームレスにつながる効果をあげている。

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           デイヴィッド・ストラセアン演じるマロー。最高です。  

日本でマッカーシーや赤狩りを知る世代は団塊の世代かその下あたりまでだろうか。若い人はどの程度知っているのか気になるところだ。監督のジョージ・クルーニーは1961年生まれなので、団塊の世代より一回り若い世代だが、彼の父親がテレビキャスターをつとめており、彼自身も大学時代にはジャーナリスト志望だったこともあってこの時代に関心が高かったようだ。彼は脚本も共同執筆していて力の入れようがうかがえる。
この映画は赤狩りがひとつのテーマになっているが、共産主義に勝利した現在のアメリカで赤狩りは今日的なテーマではあり得ない。クルーニーがこの映画で本当に伝えたかったことは、むしろテレビ報道番組の商業主義化へのオブジェクションだったのではないか。
今日の識者の多くはテレビニュースがますますバラエティ化し、視聴率を稼ぐドル箱として期待されるようになっている現状に危機感を抱いている。テレビニュース番組の娯楽化と、コマーシャル偏重の番組構成は日本でも目に余るのものがあり、個人的に苦々しい思いでいるのだが、長くなるのでそれはまた別の機会に話したいと思う。

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           本物のエド・マロー 

「グッドナイト&グッドラック」というのは、番組のクロージングでのマローの決めセリフである。
ちなみに、クロンカイトは「That's the way it was.」という言葉で締めくくった。筑紫哲也が「今日はこんなところです」と言っているのはクロンカイトへのオマージュである。
by ONDTP | 2006-06-11 12:58 | 酔鯨的シネマ評
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