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  【COLUMN】 写真というタイムカプセル
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at a village on the way to Chitwan, Neparl,1989

悲劇は往々にしてロマンチックな側面をもつ場合が多い。
こんな話がある。
ある日、若者が山に登ったきり下山してこなかった。若者には婚約者がいた。フィアンセは最後まで望みを捨て切れなかったが、捜索の結果遭難したものと見なされ、遺体は結局発見されなかった。

それから40年後、登山者が氷河のクレパスの壁面に閉じこめられた人間を発見する。遺体は若い男であった。もしや40年前に遭難した若者ではないかと、かっての婚約者に伝えられる。今では老婆となったフィアンセは遺体の確認におもむく。そして、彼女はそこで昔の婚約者と40年ぶりの再会を果たすことになる。氷塊に閉じこめられていた男の顔は40年前の若者のままであった。
フィアンセの人生には確実に40年の歳月が刻まれた。しかし、遭難して氷塊に閉じこめられた若者の時間はその時点で永久に停止していた。肉体と同時に時間もまた氷塊の中に封じ込まれたのだ。

これは、F・ジンネマンの映画『氷壁の女』(FIVE DAYS ONE SUMMER)の中で脚色されたストーリーだが、この話のオリジナルは事実だったと記憶している。



時間とは何か? 
それは哲学のメインテーマのひとつでもある。時間は存在しないという説もあるようだ。しかし、日々時間に追い立てられるように暮らしている者にとって時間が存在しないなどとは想像もできない。時間は実感としてそこに存在する。ただし、一日の時間の長さは万人に共通であっても、人生の長さという観点からすると、時間の長さは生き物のように伸縮する。
ありあまる時間をもてあましている若者の頭上を時間はゆっくりと流れ、限られた人生の残り時間を数えるように生きている者の頭上は足早に容赦なく過ぎ去る。時間をコントロールできたらと考えるのは神代の昔から人間にとって自然な願望であったろう。

写真の登場はこうした願望を形を変えて少しは満たしたのだろう。でなければこれだけ多くの人間が写真を求めることはなかっただろう。
時間を永久に封じ込めた写真は、40年前の婚約者、40年前の自分との再会を可能にする。写真は過去という氷塊に埋められたタイムカプセルである。過去へと時間を刻む時計である。
デジタル時代になって写真の加工が容易になり、写真はもはや時間を封じ込めたかっての写真ではなくなりつつある。そうした傾向から写真の将来を危惧する向きもある。しかし、写真の本質は昔も今も、「ある日、ある場所」を永久に封じ込めたタイムカプセルなのである。今後もそうであるに違いない。いくらデジタル技術で加工された写真が増えても、本来の写真をおびやかすことはあるまい。加工されてタイムカプセルではなくなった写真は「写真もどき」として本来の写真の範疇から排除されるだけのことである。
案外、時間を閉じこめる写真の能力は堅牢なのだと思う。

追記
もちろん写真は記録とは別に芸術表現も可能である。
上の拙文にわずかなりとも主張があるとすれば、そうした芸術的写真を写真と認めないとするところにある。これには個人的事情が大きい。筆者は長年にわたって、広告業界でデザイナーとして働いてきた。広告制作で使う写真のほとんどが芸術的写真であり、記録写真はほぼ皆無であった。かっこいい写真、きれいな写真ばかりで、生活の匂いのする普通の写真に長いこと飢えていたのだ。そのことの「後遺症」が筆者に偏狭な暴論をはかせたとひとまず理解してほしい。
by ONDTP | 2006-06-08 16:49 | COLUMN
 Midnight Column  深夜の無言電話
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by ONDTP | 2006-04-05 00:10 | COLUMN
 貧困率世界第5位、オリンピックなら入賞だ(笑)
ワールドベースボール・クラシック。
あまり興味なかったですが、こうした展開になってしまうと、日本と韓国の準決勝はがぜん関心の的になってきました。
いまイチローがヒットを打ったばかりです。テレビへGO!

追記:14:15pm
現在7回表、5対0で日本リード。
勝負ありました。日本決勝進出。

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   新宿

ぼんやり生きているわたしのような人間でも、たまには「これはまずい」と強く感じることがある。「派遣社員」という言葉を初めて耳にしたときがそうだった。
派遣社員の実情はさまざまだろうが、初めてこの言葉に接したときの直感は正社員との格差のことだった。派遣社員は都合のいい使い捨て労働力として扱われるだろうし、正社員も派遣社員と競わされてより過密な労働を強いられることになるだろうと感じた。格差を付けられた労働力は、共に労働環境や収入を悪化させ、よくない社会になっていきそうな気がした。

OECDが日本の貧困率は15.3%であると分析結果を報告した。
これは、メキシコ、アメリカ、トルコ、アイルランドについで世界5位で、貧困率はこの10年で2倍近くに膨らんでいるという。逆に年収2000万以上のサラリーマンはこの10年間で2万人も増えている。そういえば昨年、100億円の年収があるトレーダーがニュースになったばかりだ。

毎年のベア(サラリーマン給与のアップ)が当然だった高度成長社会と、自分の成長期を重ね合わせてきたわたしは、いまでも頭の片隅に「高度成長時代」の甘い記憶が住み着いている。正直なところ、日本の貧困率が世界第5位だと聞いてもピンとこない面がある。

貧困率とは国民の標準的所得の半分以下を「貧困」とみなして、その比率をいう。
平均所得ではなく全体の「中央値」から算出する。
中央値とは、例えば国民が100人だとすると50番目の人の所得のことだ。
日本世帯の平均値は590万円、中央値は476万円である(2004年度 厚労省の国民生活基礎調査)。したがって、中央値476万円の半分=238万円以下の収入しかない世帯が貧困層にカウントされる。80年代半ばの日本は貧困率が低く平等度が高いと評価されていたが、その貧困率が日本で増加している。それがこの話のポイントだ。


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   銀座和光 春のディスプレイになりました。っていうかこれでは夏ですね。

とりあえず自分は貧困層でない人も明日はわからない。
不確実で明日が見えない時代だ。会社が倒産する可能性もある。中高年はいつリストラされるかもわからない。子供の教育費は高騰するばかりだ。定年後の年金も不安だ。医療費負担も増える。消費税もアップされそうだと、不安の種はつきない。
わたしのようなフリーランスは不確実性と経済的不安定は当然だと覚悟しているが、バブル崩壊以降、フリーランス仲間から聞こえてくるのは悲鳴ばかりだ。みんな深刻らしい。(一番深刻なのはこのわたし自身なので本当は他人の心配をしてる場合ではないのだが(笑)。
わたしは自分の貧困を誰のせいにもしないが、貧困率の高さは社会の不平等化が進んでいることの指標でもあるので、これはまずい事態だと思っている。
by ondtp | 2006-03-19 12:46 | COLUMN
 あなた(わたし)を駆り立てる衝動の深層(予告) 03-10
なぜあなたは必要以上にカメラを買いつづけるのか?
何があなたをそのように駆り立てるのか?
この問いに答えてみたい。
(もっか誠意準備中。)
by ondtp | 2006-03-10 00:22 | COLUMN
 写真と復讐は冷めた頃が一番うまい
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  神田神保町 CONTAX T2

1962年、奈良原一高がパリのファッション誌からオファーを受けて渡仏した時、彼は半年の間何も撮らず、ただブラブラとパリを観察して過ごした。
初めて行く世界では見るもの全てが新鮮に見えてしまって自分の価値基準がもてない、というのがその理由だった。

初めて出くわした被写体の新奇さに我々はつい目を奪われがちだ。しかし、そうした新奇さは、たぶん他の人も同じように感じてシャッターを押すであろう新奇さに違いない。つまり初めて見る被写体の新奇さは、時間の経過とともに真っ先に腐る部位なのだ。腐りにくい部位は、最初の新鮮さが薄れた頃に自分なりに発見するしかない。写真と復讐は冷めた頃が一番旨いというわけだ。
このエピソードの教訓は、お気楽にすぐシャッターを押しちゃいけないってことだが、しかし、それがわかっていても、お散歩スナッパーはそうも言ってられないところが辛い。

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CONTAX T2
by ONDTP | 2006-03-06 14:32 | COLUMN
 小さなカメラが好きだ
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小さなカメラが好きだと自覚したのは、いろいろなカメラを何台も買ってしばらくしてからのことだった。絞りとシャッタースピードの意味も、レンズの画角についても何も知らなかった昔。ただただ小さなボディとデザインに惹かれてMINOX35GTMinolta TC-1を銀座のカメラ店で買った。

海外出張にミノックスを持って出かけ、仕事の合間にロンドンの街並みを撮影した。日本に戻ってから電池が入っていないことに気づいて落胆した。
近所のDPE屋で電池を探していたら、
「そのカメラの電池はないよ」
と店のおやじはつれなかった。

TC-1は人がみんな小さく写った。友人にプリントをあげたら、
「俺が小さいなあ」
と言われた。

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月末は毎月金欠で、質屋に預けた二台は二度と会えぬまま遠くへ行ってしまった。今振り返ると、名機をはした金で手放した自分が許せない。カメラに申し訳ない。
あの頃ヤフオクがあればよかった。

※その後Minolta TC-1はもう一度買い直した。しかし、そのTC-1も今度はデジカメ購入資金源としてヤフオクに出品し、期待より安い価格で落札された。安いとは言っても質屋と比較にならないのは言うまでもない

※追記
オリンパスXAもデザインにしびれて新品を買った記憶がある。しかし、どういうわけかそれで写真を撮った記憶がない(笑)  RICOH GR1vはずっと後、新しくできた新宿ビックカメラで新品を購入。これもヤフオクで安く手放してしまったが、銀塩に傾倒している昨今また欲しくなっている。フジティアラは今も持っているが、フラッシュが自動発光するのでであまり使うことがない。LOMO LC-AオリンパスPEN D3CONTAX Tixもコンパクトカメラに違いないがちょっとポジショニングが違うかな。これらも出動回数が少ない。
今のところ一番稼働率の高いコンパクト機はnatura black f1.9である。ただ、このカメラはデザインが気に入らない。natura classicaの方がデザインは好みだ。
by ondtp | 2006-03-01 21:36 | COLUMN
 「気持をこめる」ということ
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NIKON FE2 AF NIKKOR 28mm F2.8

近所に交通事故が多発する交差点がある。
見通しが悪いわけでも交通量が多いわけでもないのに、これまで数回大きな事故が発生して死者まで出ている。
先日通りかかると、その交差点の信号機のそばに新鮮な花が供えられていた。
また交通事故で死者が出たかと緊張したが、そうではなくたぶん昔の事故で亡くなった人の家族か関係者が置いた花だと思われた。何周忌かにあたる命日だったのかもしれない。

特に理由もなくその花を写真に撮ろうと思った。
ショルダーバッグには「常備薬」のGRデジタルがいつも入っている。しかし、GRデジタルの液晶モニターで花をフレーミングしていると、思いがけず撮影をためらう感情がこみ上げてきた。小さなデジカメで撮るにはその献花の意味するものが重すぎると感じられたのだ。
わたしは撮影を中止して、GRデジタルをバッグにしまい、その場を立ち去った。

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PENTAX ME  smc PENTAX-M 35mmF2.8

告別式で、棺の中の故人の顔を携帯カメラで撮影する弔問客が増えているとニュースで報じられている。最近の若者は死者を悼む気持ちが希薄になっているのではないかとTVコメンテーターは分析していた。あり得ないことだが、もしこれらの若者が携帯カメラでなく例えば、ニコンFやライカM3で撮ろうとしたらどうだったろう? 同じ撮影であっても印象がずいぶん違っていたのではないだろうかと想像する。
携帯カメラは電話に付属したおまけカメラである。最も尊厳な瞬間である死者との告別の場で、おまけカメラで故人を撮影したことが周囲の顰蹙をかった一面もあるのではないか。
信号機の献花をコンパクトデジカメで撮ろうとしたわたしをためらわせた感情と、棺の中の故人を携帯カメラで撮る若者の行為に共通するものはなんだろうと考えてみた。

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NIKON FE2 AF NIKKOR 28mm F2.8

思い至ったキーワードは「お手軽さ」であった。

信号機の献花を撮影しょうとした時にわたしが感じたためらいは、献花の持つ意味の重さに匹敵するだけの強い気持ちをデジタルカメラにこめることができなかったせいだと思う。たぶんデジカメで撮るのはお手軽すぎると感じたのだ。
棺の故人を携帯カメラで撮るのもやはりお手軽感がいなめず、気持ちがこもった誠実な印象を周囲に与えない。故人の顔を撮ること自体の問題はもちろんあるが、真摯な態度を求められる告別式とケータイカメラによるお手軽な撮影行為が見た目にもアンバランスで相容れなかったのではないか。

デジタルカメラや携帯カメラと銀塩カメラとの違いは操作性や描写ばかりでなく、この「気持ちがこもる」かどうか、それが大きな違いとしてありはしないか。
…うーん、エピソードで長々とここまで引っ張ってきておいて、いきなりこんな大命題を持ち出すのはどうかと思うが、実はこれが本日のお題なのであった。遅くなってすまん(笑)
たしかに、ケータイカメラやコンパクトデジカメをニコンFやライカM3と比較して話すのはフェアでない。デジタルもハイエンド機を持ち出すべきだったかもしれない。しかし単にカメラの大きさや性能だけの問題ではないだろう。
フィルムには気持ちをこめられても、デジタルデータには真摯な思いがこもらない(こめにくい)。
それが言いたかったことの核心である。

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CONTAX Tix

いやなに、銀塩オヤジの時代遅れで偏狭なこだわりにすぎぬと笑っていただいてけっこうである。もちろん、デジタルカメラでCFやSDカードに十分気持ちをこめられると感じている人にはこれは無縁の話である。

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わたし自身はデジタルカメラでカメラ趣味道にはまった人間なので、デジタルカメラをおとしめる意図はまったくない。 「デジカメはカメラじゃない」と口にしている一部の銀塩カメラ原理主義者では決してはない。

なぜ、デジタルデータには気持ちがこもらないか?


という問いはわたしにとっても謎である。
この謎については折りににふれ考えていきたいと思っている。
by ONDTP | 2006-02-28 00:26 | COLUMN
徳俵にかかった白露山の頭…

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白露山の頭があぶない。
見ててハラハラする。
寄せて上げても足りない。
どうする相撲協会! 
どうなる白露山!

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by ondtp | 2006-01-16 23:18 | COLUMN
無人ホームにて

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先日、都営大江戸線で新宿へ行った時のことです。駅のホームの床に若い男が倒れていました。柱のそばに仰向けになってピクリとも動かない。電車がホームに入ってきて、乗降客が側を通り過ぎてもそのままの状態でした。
病気にも、死んでいるようにも見えないので、たぶん酔っぱらいだと思いました。人々は誰も気にかけるでもなくさっさとエスカレータで地上に向かいます。男は、胸も腹も動いていないのでひょっとしたら呼吸をしてないんじゃないかと心配になりましたが、わたしも、そのまま地上へのエスカレータに向かいました。その時になって初めて気づきました。都営大江戸線という地下鉄はホームに駅員がいないんです。電車が去って乗降客がいなくなるとホームは無人になってしまうんですね。その時も無人状態でした。がらーんとした駅のホームにぴくりとも動かない男が床に転がっている光景はシュールな感じでした。
いくら酔っぱらいといっても無人のホームに放っておくわけにはいかないので、改札で駅員に事の次第を告げると、若い駅員は、
「ああ、あの人ね、朝からあの調子で、酔っぱらいなんですよ」
との返事。
(オイオイ、朝から放置しているのかよ!)
冷淡な奴らだなあ、大江戸線は問題あるなあ、と内心駅員を責めながら、わたしもそのまま駅を出ました。
地上に出ると東京砂漠は冷たい雨が降っておりました。

●追記
床に倒れていたのが人間ではなくて、猫だったら近づいて身体に触れて様子を見たと思います。乗降客も何人かはそうしたはずです。人間はやっかいなのでかかわりになりたくないのです。これは冷たいと言うより心に余裕がないせいだと思います。みんな自分のことでせいいっぱいなんです。
それともうひとつ、本当はこちらの方が問題なのですが、権利意識ばかり強い都会では、ひとつ間違うと、親切心からの行為であってもまずい事態を招く恐れがあるからです。
なにしろ、子どもが石につまづいて校庭で転んだら、危ないからアスファルトで舗装しろ、川でおぼれたら、川に蓋をしろと主張して責任者を非難して恥ない人々がいっぱい暮らしている街です。もし倒れている男を抱き上げようとして、万一様態がおかしくなったら、なぜ救急車を呼ばなかったのか、駅員にまかせず勝手なマネしたのかなどと非難されるかもしれないのです。人の行為を正当に判断する能力に欠けた頭でっかちの人間が少なくないので、何をするにもかかわりを避けたくなるのも無理のないところだと思います。しかし、そうしたリスクを負ってでも実行する行為こそ本当の親切心というものかもしれません。
by ondtp | 2005-11-09 06:47 | COLUMN
ウェアラブル・コンピュータ社会とは
a0022814_7474160.jpg今日はちょっとカメラから離れて、真面目で堅い話におつきあいください。いや、いつだって真面目ですけどね。

かってはユビキタスと呼ばれていたようですが、今度はウェアラブル・コンピューターですか。オールドタイマーはめまぐるしいIT用語にはついて行けません。
用語はともかく、コンピュータがそれと意識されないまま日常生活の各分野に深く浸透して、生活がさらに便利になってゆくのは間違いありません。その際問題なのは誰にとっての便利さかということだと思います。そこのところをおさえておかないと、来るべきコンピュータ社会はとんでもない超管理社会になりかねません。

例えばケータイです。
女子高校生が友達とメールするぶんには便利だとしても、会社からケータイを持たされた外回りの営業にとっては利便さ以上に管理の強化といった側面の方が気になるでしょう。
米コネチカット州のレンタカー会社が自社のレンタカーにGPS装置を搭載して、スピード違反した顧客にたいして罰金を課したというニュースがありました。便利なデジタルデバイスも、誰がどんな目的で利用するかで、生活を便利で楽しくもするし、個人管理の強化にもつながるというわかりやすい例でした。
GPSもカーナビに利用していれば便利なデバイスですが、ケータイに組み込んで、営業など個人管理に使われるとしたらこれはもうSFの世界です。営業はいっさい油を売ることができなくなり、行動のすべてを会社に遠隔管理されかねません。
「お前、午後3時25分に錦糸町の「ドトール」に入っただろう。その後、○○、その次に××に行って1時間滞在しているな。なんの目的で××に行ったんだ? このとおりログがあるぞ。」
たまったものじゃないですが、それも現実にあり得る話になっています。

a0022814_750615.jpgさきごろ、米ゼロックス社製のプリンターに、偽札防止目的で、一般には知らされないまま「追跡コード」が組み込まれていたことが発覚しました。偽札がプリントされた場合、そのプリンターを特定し追跡できるのが「追跡コード」で、肉眼では見えません。これは米財務省秘密検察局(シークレット・サービス)の要請をうけてゼロックス社が実施したものでした。
また、アドビシステム社は、PhotoshopCSに、紙幣のコピーをできなくするプログラムをこっそりと組み込んでいました。こちらも偽札防止目的で、米政府の規制当局や世界各国の銀行からの要請を受け入れたものでした。

問題だと思うのは、一般企業が政府の要請を受けて市販製品に秘密裏に手をくわえている点です。紙幣の偽造防止なら、犯罪者以外の一般の人には関係ない話とも言えますが、ほかにも何かしているんじゃないかと疑いたくなるのは無理のないところでしょう。アメリカでも反発の声があがっています。

オーエルが「1984年」で描いたビッグブラザーによる管理社会はある意味わかりやすい権力による管理でした。しかし、上の例のように、一般企業が政府機関の要請を受けて市販製品にこっそりと何かを仕込んだり、会社がウェアラブル・コンピューターを駆使して社員をコントロールするようになると、それは見えにくいし、資本主義社会にあっては会社単位の行為ならば、例え問題があっても法規制の網をかけるのは難しいでしょう。
SFの描くコンピュータの反乱物語はわかりやすいものでしたが、現実のコンピュータによる支配は、もっと見えにくく、一般の人間にはその自覚も薄いまま、じわじわと真綿で首をしめるように進行してゆく危険性が大きいように思えます。
by ondtp | 2005-10-22 07:56 | COLUMN