カテゴリ:終わらない旅( 2 )
7月2日 終わらない旅 02

a0022814_23332582.jpg
インド・ネパールへのツアーは、もともとは一人旅を考えていたTという女性の発案で、わたしが偶然彼女のプランに便乗したものだった。Tは恋人ではなく、単なるガールフレンドだったが、たまたまかかってきたTからの電話で旅行の話になり、日本を離れることを計画していたわたしが彼女に同行することにしたのだった。二名以上で成立するツアーだったので、これでツアー成立は確実になったと彼女は電話の向こうで笑った。

出発の4月30日早朝、まだ暗いうちに家を出た。他人から見れば気楽で楽しい海外旅行のはずだが、わたしは沈んだ気分のまま成田へ向かう高速バスに乗った。眼下の闇の中にぼんやりと近づいてきてはすぐに後方に過ぎ去ってゆく灯火を見下ろしながら、どこへ逃げても解決なんかしないんだよ、という思いにとらわれていた。


成田空港の集合場所には私たちを含めて7人のツアー客が集まった。
年配の夫婦と少し暗い感じのする中年のカップル、元気な一人旅の若い女性、それにわたしたちで、これに小柄な女性添乗員のSさんを含めると総勢8名の陣容だった。手短に挨拶をすませ、わたしたちは機上の人となった。
デリー空港に着いたときは夜の8時を過ぎていて、迎えのバスでそのままホテルに向かった。東京を見慣れた目にバスの窓から見えるデリーの夜景はずいぶん暗く感じられた。ホテルでわたしは割増し料金を支払い一人部屋に泊まった。Tは一人旅の若い女性と同室になった。

翌日の午前、インド観光をあわただしく済ませて、午後カトマンズに飛んだ。カトマンズまでは2時間足らずの距離だった。カトマンズでやはり一泊した翌日の早朝、こんどはバスでチトワン国立公園に向かった。このコースはバスとカヌーと牛車を乗り継いで行くことになっていて、いわば自然を満喫するスローな旅であった。もちろんあくまで演出された観光的スロー旅である。
ところが、ひどい暑さのせいもあり、観光にしては辛い旅路になった。長時間山路をゆさぶられながら走るバスは思った以上に体にこたえた。年配の夫婦は暑さであえいでいた。女性たちは口数が少なくなりじっと耐えている様子だった。わたしはミネラルウオーターをがぶ飲みし、峠の村でバスが途中停車すると、バスを降り裸になって頭からバケツの水をかぶった。

山をひとつ越えると集落の女性のファッションが変化するのが興味深かった。バスが途中停車するたびに、近くの集落の子供たちの写真を撮った。写真を嫌がる者はおらず、恥ずかしがりもせずみんな積極的にカメラにおさまってくれた。子供たちの屈託のない笑顔を間近に見て、わたしも自然と笑顔になった。東京で感じていた苛立ちが少しづつほぐれていくようだった。
  
  (つづく)
by ondtp | 2005-07-02 23:38 | 終わらない旅
終わらない旅 01


a0022814_043077.jpg

そのとき、人生がギリリと一回転する音が聞こえた気がした。
ぐるっと回って元の場所に戻ったと思った。元の場所といっても生まれた時ではなく、16年前の1989年に戻ったのだった。その年、わたしはサラリーマン生活に別れを告げてフリーランスのグラフィックデザイナーとして新しい人生を再出発させた。
天安門広場に集結した学生が軍と衝突した年だ。


                           ●


それまでの私は私生活も仕事にも行き詰まっていた。別居していた妻とは少し前に正式に離婚していた。勤務先の広告代理店の仕事は忙しいばかりで満足のいく内容ではなかった。人生の目標を失い、いつも不満をくすぶらせ、いらだち、胃がしくしくと痛んだ。
残業を終えていつものように深夜にタクシーで帰宅したある日、ふと鏡に映った自分の顔を見てぎょっとした。鏡の中の中年男は疲れ果てたゾンビのようにわたしを見つめていた。とても生きているように見えなかった。

「これはいかん」
と思った。

どこでもいいから今いる場所を離れたい。仕事からも、妻がいなくなったこのマンションからも遠く離れたいという思いに突き上げられた。それは自分でもびっくりするような強い衝動だった。
数週間後、わたしは会社を無理に休み、あわただしく手続きを終え、インド・ネパールの旅に出た。旅先をインド・ネパールに決めた理由や目的がとくにあったわけではなかった。ただ、欧米は仕事の関係でこれまで行ったことがあり、それならアジアだな、と単純に考えただけだった。そのようにして、焦げ付くような心を抱えたまま、逃げるがごとくわたしは日本を離れた。
もう少しで30代が終わろうとしていた。

(つづく)
by ondtp | 2005-07-01 00:06 | 終わらない旅